幸せは、どんな形でも、やはり人と接することなしでは考えられません。
人と接する=人と話す
人間は言葉を使って生きています。言葉なしでは生きていけません。
話をするという行為は人間社会を支える基本的な要素です。
言葉をどう使うかが生活を豊かにも貧しくもするのです。
話には相手がある
まず「話す」ということの根本的な特質は「読む・書く」と比較すると簡単です。「読む・書く」はたいがいの場合ひとりでするものです。
書き損じれば書き直しも出来るし、意味がつかめなければ読み直すこともできますね。
でも、「話す・聞く」となると事情が違い相手が目の前にいます。
「話す・聞く」は相互的で取消不可能なのです。言い直す事は出来ますが、その努力が必要だったりします。いったん言われた言葉の印象は聞き手の心に残るのです。
その点、待ったなしの真剣勝負であることを心得ていなければなりません。
親が腹立ちまぎれに「お前なんか生まれなければ良かったのに」なんて怒鳴ってしまったら、子供の心に一生、傷となって残ることもあります。
会社の人間関係や友人関係でも同じで不用意な話し方が取り返しのつかない事態を呼び起こしかねません。
話し上手は聞き上手
積極的で明るい人間関係をつくるためには、やはり話を通じて人間どうしが理解しあってゆくという姿勢を尊重しなければなりません。
その意味で考えておかなければならないのは話の決定権は話し手になく、聞き手にあるという事です。どんなに説得されようと忠告されようと、それを納得するのは聞き手です。
そんな話は聞きたくないと思えば耳をふさぎ立ち去ります。
つまり話し手の努力工夫が必要であるのと同じくらい、聞き手の側の努力がなければ話は成立しないのです。
正確に聞き正しく理解する熱意、そしてその熱意を外に現して話し手に話をする意欲を持たせる努力が必要です。それは視線の動かし方、あいづち、返事などという形です。
要するに話とは、人間相互の信頼と努力によって成り立つものだと思うのです。どちらが不十分であっても本当の意味での話は成立しないですよね?
相手を尊重して話す
上手に話すには言葉を巧みに上手くあやつれば良いと考える人がいますがそれは大きな間違いです。
ああだこうだと、言葉巧みに話しても相手がうなずく気にならなければ何もならないのです。
言い方とはテクニックの問題ではなく人間性の問題であると私は考えます。
相手を尊重するという事から話が始まるのですから次の事を心掛けましょう。
1、肯定的な心で話す。
否定的な言い方は相手の自尊心を傷つけ反発を招く事が多いです。
例えば「これだけしか出来ていないの?これっぽちじゃあ、しようがないわね」ではなく「随分、できたわね。もう少しやってから休みましょうか?」と言えば「随分できたね」で働きを認めて貰えたから、「もう少しやろう」と言われても腹は立たないというふうになります。
2、わかりやすく言う。
わかりやすく言うとは、自分の使った言葉が、その通りに相手に伝わるように言うことです。
やたらと専門用語や難しい言葉を使うのではなく、話し手と聞き手が共通の意味に理解する言葉を使うという点を配慮しなければ、正しい話し方と言えません。
お年寄りにはお年寄りの、青年には青年の、女性には女性の、子供には子供の言葉の守備範囲があります。それを大きくはみ出すような言葉を使っては共感を得られません。
3、明るい声は肯定の心を表す
最後に明るい調子で心を開いてものを言うように注意します。
音楽でも暗い調子のものを聞けば気持ちは沈み、なんとなく憂鬱になります。明るい音楽、例えばテンポの速い行進曲を聞けば気持ちが浮き立ってきます。
話も明るい調子で言うのと、暗い調子で言うのでは効果が随分と違ってきます。
暗い調子で言われると何だか逃げ出したくなるものです。
ここでの注意はあながち高い声、大きな声が明るい声と言うのではなく、低い声、普通の声でも明るい調子があれば明るい声と言えるという事です。
要は、声の強弱、高低ではなく、声の響きが、明るい調子かどうかを決定します。
同じ言葉も調子を変えれば聞き手に違った意味を与えます。
暗い言い方は否定的な言い方と同様な結果をもたらし、明るい言い方は肯定的な言い方に通じると言えます。
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